実験動物は顧客だ −飼育技術者による顧客満足−


           理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
                      鍵山 直子

実験動物は顧客だ 
 実験動物学を30年間やってきた私が到達したのは、実験動物を顧客ととらえる考え方だ。はやり言葉の「顧客満足customer satisfaction」をかみしめているうちに、それがひらめき、ひとり納得した。もとは営業用語である顧客だが、最近ではもっと広い意味で使われる。製薬会社では、患者や問屋のみならず、同僚の研究者や厚労省の担当官も顧客である。
自らの業績や行動が、相手にとって満足に値するかどうかを、相手の立場で見るのが、顧客満足の概念である。自己満足の反意語と考えればわかりやすい。宅配便がはやっているのは、顧客指向、顧客満足があるからに違いない。医師と患者の関係にすらも、顧客満足がなくてはならない。顧客満足は、もはや営業だけが目指すものではない。
我々の知識や技術が、実験動物にとって満足のいくものであるかどうかを、彼らに直接尋ねることはできない。しかし、QOL(quality of life)を指標に実験動物を観察すれば、対話がなくても、満足度は判断できる。ただし、そこにはプロの存在が不可欠である。このプロになれるのは、毎日のように実験動物を観察し、自らを研鑚している者のみであり、それは、技術者をはじめとする実験動物学の専門家をおいてほかにない。
実験動物には使命がある。彼らには、この使命を前提としたQOLがある。実験動物は、人が作出した人工の動物であって、その使命は人が与えたものである。これを、人間の勝手と決めつける向きもいるが、実験動物の生命の尊厳を人と同等のものとみなす限り、実験動物に対して、エモーショナルな同情は無用だ。実験動物を作出した人間として、同情ではなく、彼らが使命を全うできるように責任を果たすべきである。
実験動物の使命は、ペットや家畜のそれとは異なる。実験動物が使命を全うできるのは、施設の中のみである。だから、彼らを野に放ってはならない。実験動物が使命を全うできるのは、実験に使用されるときだけである。だから、彼らを余らせたり、ただ安楽死させてはならない。我々は、実験動物が使命を全うできるように環境を整備し、飼育・実験技術を磨くことに最善を尽くさなければならない。痛みに耐えかねている彼らに、使命を全うできるはずがない。病気に罹った実験動物に、もはや使命を全うする余力はない。
イギリスのRussel & Burchが唱えた3Rについて、私は今、上述のように解釈ている。アメリカの、実験動物の管理と使用に関する指針Guide for the care and use of laboratory animalsにおけるcareは、humane care(人道的な取り扱い)の省略形であろう。Humane careは、実験動物にもペットにも家畜にも共通する配慮であり、我が国における「動物愛護管理法」の骨子でもある。一方useは、responsible use(責任ある使用)を意味しており、実験動物に固有の概念である。このresponsible useに、実験動物に対する顧客満足の原点があると考える。
日本の「実験動物の飼養及び保管等に関する基準」は、useに触れていない。欧米の同僚が、日本の法規について説明してほしいという。3Rがプリンシプルであるところまではいい。最も苦労するのは、「基準」が動物実験を切り離していること、それと、切り離すに至ったいきさつである。Useが顧客満足のキーワードであれば、顧客満足の主な担い手では飼育者ではなく、実験者であるかもしれない。実験者の教育について、目下、取り組んでいる。

飼育技術者による顧客満足
3Rのなかでも、技術者のプロフェッションがもっとも発揮されるリファインメント(refinement:飼育・実験技術の洗練と飼育環境の適正化)を中心において、実験動物に対する顧客満足を具体的にレビューしてみたい。ここでは、自分自身ならびに過去の同僚、関係者が絡んだ失敗例を紹介する。
実験動物の使命を損なう要因のなかで、特に感染症は、日本国内はもちろん、欧米においても未だ解決していない。昨今では、国内外の動物実験施設間で、トランスジェニック動物の授受が盛んに行われている。感染症に関わるトラブルには、みんな神経質になっているにもかかわらず、その対策については、十分にコンセンサスが得られていない。このことに関して、神戸の研究所の例を紹介しながら私見を述べる。
私が関わるもう一方の社内でも、トランスジェニック・マウスの受け渡しに際して、health surveillance program(モニタリングの考え方とか検査項目)がいつも議論される。外資系であるから、国際間の違いに注目する。その違いは結局、容認される。というよりも、容認せざるを得ない。しかし、どう違うかをはっきりさせることが重要とされる。認識している微生物・寄生虫の範囲、そのうちのどれを定期検査しているか、インフォメーションとして提供できるものはどれか、などである。
次に、動物実験倫理をとりあげる。日・米・欧の法規制の比較は、たぶん聞き飽きた、教育的な内容になるかもしれない。ところが、日本をアウトローの国と思い込んでいる外人には、これは重要なメッセージであり、プレゼンテーションのリクエストが多いテーマのひとつでもある。仕事のパートナーであるアメリカ人、イギリス人とのやりとりや、社内での技術者向けのトレーニング・スタンダードも紹介する予定である。
最後に、実験動物が使命を全うするうえで、技術者にはどのような責任があるのか、何をすべきかについて、一緒に考えてみよう。蛇足だが、例の拙文「元祖おじんギャルの定年」にちりばめた私の人生観についても、少しだけ話してみたい。次の世代をになう若き日本人へのエールとなることを祈りつつ。